里内里帰り

函館土産のチョコを運ぶUber配達員となり、徒歩15分くらいの場所に位置する「ばあちゃんち」までチャリを飛ばした。中学時代までを過ごしたその辺りから隣町(区は同じ)へ引っ越して以来「ばあちゃんち」は駅とは逆方向になってしまったから、そちらへは半年とか一年とか二年に向かうきりになっている。今日行ったのもたぶん二年弱ぶりで、見知った街のはずなのに馴染めないような、新鮮なような感じがした。そこでふと気づく。

「……これ、帰省と同じか?」

多分似たようなもんだと思う。小高い丘の上には記憶にない民家が数軒建っているし、花屋が閉まったのは知ってたか知ってなかったか。集団指導塾の下のテナントが空いている気がする。人があんまり垢抜けていない。車通りが多い、自転車用の道がなくて危ない、看板の広告が変わっている、今日はこの公園から富士山が見えない。公園の横に建つ小学校の同期の家は、数年前に建て替わった。「知ってる」をベースに細部が違っていて、ちょうどそのまんま旧友に数年ぶりに会った時みたいな、距離感を手探りするような気持ちになった。違う時を過ごすってこういうことか。

「ばあちゃんち」も、庭の草が記憶より生い茂っていたり、若い猫がでかくなって見分けがつかなくなっていたり、古株のヤツは痩せて小さくなっていたりしたし、ばあちゃん本体……は思ったより変わんねえな。ちょっと顔が弛んだかな、とは思ったけれど、「コロナ以来全然外に出なくなった」と聞いて想像していたよりはよほど元気そうだった。よかった。孫に対しては典型的なツンデレなひとだから、表立って喜びはしなくともいろいろ(冷凍食品とか)くれるし、久々にお小遣いもくれた。お土産本体と送料込みでもワリが良すぎる額だ。ありがたい。それだけに、あんま頻繁に来ると朝貢みたいで気が引けるんだよな……。

ありがちな雑談を交わし、なんかすごいでかいテレビから垂れ流されるジャパネットたかた(数年前同じ場所で聞いていたときはたかたさんだった)をBGMに仏壇の祖父に線香をあげ、チーンし、余りもの全部入りの大量の飯を食わされ、なんかすごいでかくてフレームレートがうちの倍はありそうなヌルヌルのテレビでコナンを観て、大量の猫と長時間触れ合う。「ぼくのなつやすみ」みたいなノスタルジーすらある。帰省だ。

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猫を懐柔しているようで猫に懐柔されている、深淵を覗くような数十分を過ごしてお暇。玄関先まで送りに来ないのがばあちゃんらしい。

ボディバッグ1つで来たのに、リュックいっぱいに等しいくらいの荷物を自転車のカゴに積んみ込んで帰途につく。ほんとの帰省なら「荷物送っとくからね」で受け取るヤツを持って帰るみたいなもんか。いずれにせよありがたい。猫ともども、とりあえず次来る時までは変わらず元気で過ごしてほしい。

チャリを漕ぎながら、いつもは左を通るバリケードの右を通る。この二年で草が生い茂っていた。

 

おわりです。人生最後の夏休み最終盤に、何気なく一番夏休みっぽいことをした気がします。